春彼岸

『春彼岸』〜ほとけの種を蒔く

春彼岸のこの頃から、だんだんと春らしく暖かくなってきます。
米や野菜を作る農家の方は、種蒔きのシーズンです。

 

最近は家庭菜園でも種蒔きから始められる方が増えているようですが、「種がうまく発芽しなかった」、「種が土の中で腐っていた」という声も多く聞かれます。

種の発芽には、「水・温度・空気」といったご縁があり、特に芽が出るまでは水が重要で、種に水分が充分に行き渡るよう土が乾いて硬くならないよう注意が必要です。発芽すると根から肥料を吸い上げ、葉は日光を浴びて光合成しながら養分を作って成長します。

先日、大正生まれで家庭菜園の好きなお婆さんが百歳を過ぎて亡くなりました。戦争で早くに旦那さんを亡くされ、何かと苦労も多かったことと思います。それでも私があの人の分まで生きて、子供たちに生きる力をつけてやりたい。そんな様々な思いの中で現実と向き合う姿は、菜園を通じて収穫の喜びと共に私たちに生きる力を示してくださいました。

大人になって仕事や家事、結婚、子育てなど、普通に見えることも、いざ自分の番となると、どれだけ難しいことなのかを実感します。嫌なことがあっても、疲れていても、それでも毎日続けるということが簡単そうに見えて大変です。

お婆さんは晩年、母屋の縁側で「お天道様ありがとうございます。」と手を合わせていらっしゃいました。長年にわたる畑仕事の経験から自然に対する深い知恵をもっておられ、山川草木の自然の恵みや、月の満ち欠け、天体の運行など、この地球に生きるすべての生物に与えられた天からの尊い恵みがあることを信じておられました。それらの天からの恵みは、決して独り占めできるものではなく、共有の宝であるからこそ尊く、手を合わせずにはいられなかったのです。人や動物、植物など生きとし生けるものみな、平等に共有の宝を与えられ、共に生き、生かされているという謙虚な想いを大切にされていました。

「今日彼岸 菩提の種を蒔く日かな」

生きとし生けるもの共有の宝を菩提と言います。菩提の種を蒔くとは、私の内にある仏の種を発することです。

私たちは皆が生まれた時から頂いている、仏の種「仏性」を授かっています。しかし、種を頂いても蒔かなければ発芽しません。菩提の種を蒔くとは、ご縁と向き合うことです。順逆の別なくご縁と向き合う心を忘れてはならないのです。

それぞれの心に頂いている仏の種は必ず芽を出し、やがて花を咲かすものと信じます。

 

 

 

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