三宝の恩〜仏法ありがたし〜

平成29年度「花園会推進テーマ」として、『おかげさま 三宝の恩〜仏法ありがたし〜』が掲げられました。

 

三宝というのは、お釈迦さまがお弟子さんに説かれた教えであり、心の拠り所となる大切なものとして、「仏」「法」「僧」の三つを説かれました。

「仏」とは、私たちをお導き下さる仏様。
それは私たち一人ひとりの中にある仏心です。

「法」とは、仏様が説かれた御教え。
それはこの世の真理を正しく見ることです。真理とは、諸行無常などの世の中の約束ごとです。

「僧」とは、仏様の教えを共に行じていく集い。僧伽(そうぎゃ)ともいい、それは人生を共にする善き友、仲間のことです。

お悟りを開かれたお釈迦さまのまわりには、こうした善き仲間が集まり、生涯の旅を仲間と共に過ごされました。そして、八十歳で(入涅槃)お亡くなりになります。この様子をあらわしたのが「涅槃図」です。

今年四月に当寺所蔵の涅槃図が、岐阜新聞社発行の情報誌で取り上げられ多くの方が拝観に来られました。

涅槃図のお釈迦さまの下辺りで泣き崩れている方は、十大弟子の一人でで阿難さんです。身のまわりの世話をされながらお釈迦さまの近くでお釈迦様の教えを誰よりも多く聞かれた方です。

お釈迦さまが亡くなる前に、阿難さんは問いかけます。「あなたが亡くなられたら、私たちは誰を頼りにして修行し、生きていけばいいのでしょうか。」
お釈迦さまは応えます。「あなた方は、ただ自らを灯明として、自らを拠り所とするのです。他人を拠り所としてはいけません」。自分で立ち、自分で歩まなければいけないですよ、と諭されました。さらにつづけて、「法を灯明として、法を拠り所にせよ。他を拠り所としてはいけません」。真理を見定め、現実を受け入れていきなさい、とお示しになられました。

またあるときお釈迦様は、朝陽の昇る様子を喩えて「陽の出にあたっては、まず、東の空があかるくなってくる。やがて、光炎がさっと輝きわたって、陽が昇ってくる。すなわち、東の空があかるくなるのは、陽が昇る兆しであり、その先駆である。それと同様に、あなた方が悟りに目覚めるときにも、その先駆があり、その兆しがある。それは、善き友をもつということである。善き友をもった者は、やがて目覚めた人となろう」。

同じ志をもつ善き友が相集まり、相はげましあって、歩んでいける人生を送れば、このうえない喜びとなることでしょう。

阿難さんが「私たちが善き友をもち、善き仲間と共にあることは、聖なる道の半ばを成就したのではないでしょうか」と問うと、お釈迦さまは「それは違う。それは道の半ばではなく、すべてである。」と言われたのです。

お釈迦様は、共に切磋琢磨した仲間に囲まれながら、安らかに涅槃に入られたことでしょう。

 

 

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