『鵜飼』~いのちの輝き~

今年5月11日は、4年ぶりに運航規制のない形で長良川鵜飼が開幕されました。

 

幽玄に浮かぶ篝火(かがりび)は、希望の光として川面を照らします。観覧船に乗った観光客は、鵜匠と鵜が一体となって鮎を追う幻想的な伝統漁法に酔いしれました。

 

鵜飼漁は1300年以上の歴史があります。平成27年3月に岐阜市の長良川鵜飼と関市の小瀬鵜飼が、「長良川の鵜飼漁の技術」として国の重要無形民俗文化財に指定されました。この伝統を次世代に継承することが求められます。

 

まず、鵜飼の鵜は、茨城県日立市の伊師浜海岸で野生の海鵜が捕獲され、鵜匠の家に届けられます。ここで鵜は、風切り羽を7、8本切り取られ飛べないようにされ、長良川で新たな生活が始まります。

共に暮らす鵜匠の家では、20羽以上の鵜が飼育されていますが、鵜匠は鵜を1羽ずつ識別し、それぞれの性格などを把握しています。鵜の体調や性格、季節、川の様子などを考慮し、その日の漁に連れて行く鵜を毎日決めています。体調の良くない鵜には決して無理をさせず、よく働く元気な鵜でも時々休ませたりします。

 

鵜は人と同じように様々な性格があるようで、働き者がいればそうでない者もいるようです。それは鵜の自己主張で、鵜は人に媚びるわけでもなく、常に堂々としているのだとか。そこには鵜匠と対等な信頼関係があるようです。

漁では、利口な鵜たちはチームワークで鮎を追い込んで捕獲していきます。鵜匠は10羽程の鵜を手縄で操るが、ベテランの鵜で編成すれば手縄がいらないほど楽に漁が出来ることもあるようです。しかし、ベテランばかりでは若い鵜が育たない。新しい鵜は魚種に分別なく捕獲してしまうため、1年目は鮎の味を覚えさせ、2、3年かけてゆっくり体を作って一人前の鵜になっていくのです。

手縄を操る鵜匠も、働いている鵜に迷惑をかけないようにと技術の向上に努めることを怠りません。共に生活するなかで、鵜匠は常に鵜のことを大切に思い、一生懸命漁をする毎日を積み重ねていく中で、鵜匠と鵜との間には固い絆が結ばれていきます。

 

年老いて漁ができなくなり、鵜飼を引退した鵜も、引き続き鵜匠の家で暮らします。毎年、鵜飼シーズンが終わると、鵜に感謝と弔いの気持ちを示して、亡くなった鵜の供養が行われています。鵜匠の鵜に対する愛情。きっとそれが鵜に伝わるからこそ、鵜は毎日頑張って鮎を捕ってくれるのでしょう。

絆で結ばれている鵜匠と鵜が織り成す鵜飼は、見る人々の心を魅了してやみません。

 

私達も社会の中で支え合って生きています。

それはお互いの違いを認め合い、理解し合うことから得られる「共に生きる喜び」を味わうことで、自己の存在とか本来の自分が見えてきます。

こういった己事が明確になったとき「いのちの輝き」は、ますます光を放っていくことでしょう。

 

 

 

参考、

岐阜新聞

鵜飼ミュージアム

令和三年重要無形民俗文化財 長良川鵜飼漁の技術保存活用計画書

 

 

 

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