『山開き』〜自らを灯火として道を切り開く〜

登山で最も賑わうシーズンは夏。爽やかな薫風が吹き抜ける登山道を歩めば心身ともにリフレッシュ。新緑や高山植物が目を楽しませてくれます。

 

シーズン到来の目安となる「山開き」の時期は山によって異なります。山や登山道の状態が、安全であると判断されると入山の許可がおります。

 

私たちの住む日本は山国で、どこからでも山が見えることに生活があります。古来より当たり前のように山の恩恵を受け、共に暮らす知恵を持っていました。

山は動植物や豊かな水の恵みを与えてくれると同時に、災害や事故も起こる厳しさもあります。

また山の雄大な様相に神威を感じ、神格化してとらえるようにもなりました。そこから祭場、聖地として山岳信仰が広がります。

一般人は山に入ることが難しくなり、仏教の発展とともに山伏や修験者が厳しい修行のために山に入り、修行場としての色合いも濃くなって行きました。

 

北アルプスの槍ヶ岳は、念仏の布教につとめた播隆上人(ばんりゅうしょうにん)が開山したことで知られています。

播隆上人は信者と共に1823年に飛騨から笠ヶ岳に登り、その頂上から見た槍ヶ岳の神々しい姿に心を打たれ槍登頂を大願します。

3年後に槍ヶ岳初登頂が叶うと、それから2年間諸国を行脚して浄財を集めて再び登頂、「阿弥陀如来」「観音菩薩」「文殊菩薩」を山頂に安置しました。

その後も何度も槍ヶ岳に通い、登拝(とうはい)者の安全を図るため道を直し、山頂に「善の綱(ぜんのつな)」とよばれる鉄鎖をかけるなどして山を開いて行きました。

 

この時代は天保の大飢饉の最中で、食べるものがなく地域によっては松の皮や藁、土などを食べて腹を満たしていた記録があります。

「後の世もこの世もともに 南無阿弥陀仏まかせの身こそ安けれ」播隆

凄惨な現実を前にして、播隆上人は苦しむ人の心に寄り添い、信仰登山や念仏講を勧められ、また自らも厳しい仏道修行を実践されました。

それは人々には浄土を説きつつも自身には厳しくせずにはおられないほど生きた時代は悲惨であった。「ただ念仏を唱えればよい」と言わざるを得ぬほど当時の生活は厳しかったのではないか、そのような時代背景が浮かんできます。

もしかすると、播隆上人は極楽浄土を観想としてではなく現実に見たのではないか、笠ヶ岳の山頂に、そして槍ヶ岳の山頂に。飛騨山脈という3000メートル級の山々に、西方に沈みゆく落日に、確かに播隆上人は浄土を見たのではないか。

そう伝わる念仏僧、播隆上人の偉業を称えた、北アルプス岐阜県側の開山行事「播隆祭」が5月10日、奥飛騨温泉郷村上神社にて開かれ、夏山シーズンの到来を祝い、登山者の安全が祈願されました。

参考著書
日本百名山、南無の紀行〜播隆上人覚書

 

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