『夕立』〜自然の恵みに心も潤う〜

『夕立』~自然の恵みに心も潤う~

夏の夕立は、干天の慈雨、いいお湿りでと言われるように、 猛暑続きの時にはこの雨のおかげでホッと一息。と、ありがたいですね。

 

夕立とは、午前中から照りだした太陽の熱が地表面の空気を暖めて上昇気流を生み、積乱雲を形成して雨を降らす現象です。また、積乱雲は雷雲ともよばれ、雷を発生させやすい雲でもあります。

この雷の正体が電気であることはいまや常識ですが、雷から身を守るための正しい知識は意外と知られていません。例えば「雷が鳴っているときは、金属を身に着けないようにすれば大丈夫」、「ゴムの長靴を履いていれば、雷の電気を絶縁するので大丈夫」という言い伝えは、まったくの迷信のようです。

特に危険なのは雷が発生しているとき、公園や野球場などの広くて平らなところに立つことです。傘や野球のバットなど、長いものを持っているのも危険です。もし、雷の音が聞こえたら、安全な場所に避難するようにしましょう。

大昔の人たちは、理解を超えた自然現象を神として崇めていました。それは、自然に対する理解を深めようとされたことでもあります。三十三間堂の風神雷神像や、建仁寺所蔵の俵屋宗達「風神雷神図屏風」が有名ですが、古くから風や雷を神格化や擬人化して描かれています。

同じ江戸時代に白隠禅師『雷神図』があります。「雷神が手紙を書き、庄屋に頼んで風神の所に届けさせる所」として描かれています。

日照りが続くせいで稲が育たない。百姓の代表である庄屋が雷神さまのところへやってきて「恵みの雨を降らしてください」とお願いしています。

雷神さまは「そう頼まれても、わしひとりだけでは雨を降らすことはできん。であるから、風神に雲を呼ぶよう一筆書くので、ご苦労だがそれを届けてくれ。そうしたら、皆一緒になって雨を降らしてやろう。」と言われます。

風神に宛てた手紙の内容には「わたしが光ったら、それを合図に大儀だが雲を呼んでおくれ」と書かれています。(参考 平凡社 別冊太陽  白隠)

雲がさーっと広がって、人々はは身を寄せ合い、田畑を潤す雷雨に感謝を捧げたことでしょう。

雷は「神が鳴る」と書く「神鳴り」が語源だとも。光も音も、すべては神の意志であり、恐れ多くも待ち遠しいもの。そんな心持ちを詠んだ歌が万葉集に記されていました。

「天雲に 近く光りて 鳴る神の 見れば畏かしこし 見ねば悲しも」

目にするのは畏れ多くあり、でも、目にできないのは悲しい。

実はこの歌、身分の高い相手に恋をした誰かが、もどかしい想いを雷の訪れに託した歌なんだとか。

雨が上がった後の東の空に、七色の美しい虹。

「恋は届いたかな?」

七色の掛橋に心も潤いますね。

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