ひゅーん、ドン。
ひゅーん、バン、バン。
腹に響く音。美しい光と火薬の燃える匂い。花火は夏の風物詩。各地で花火大会が開かれ、夏の夜空に彩りを添えます。
始まりは、享保十八年(一七三三年)八代将軍吉宗が、前年の大飢饉とコレラの大流行による死者を弔うために施餓鬼を行い、花火を上げたのが起源とか。現在まで隅田川花火大会として続いています。
新潟県の長岡まつり大花火大会は、空襲に見舞われた翌年より復興祭として始まりました。八月一日午後十時三十分、空襲で亡くなられた方々への慰霊、復興に尽力された先人への感謝、恒久平和への願いを込めて、市内寺院の鐘声とともに、白一色の花火「白菊」が、打ち上げられます。
死者に手向ける白い菊の花のように、汚れなく無垢で、楚々とした美しさと強さを感じさせる大輪の白い花火です。
この「白菊」を生み出した花火師の嘉瀬誠次さんは、戦争によりシベリアに抑留されました。酷寒の地で鉄道敷設や森林伐採、港湾の建設など、過酷な強制労働を強いられ、餓えに苦しみ、生と死が隣り合わせの極限の生活を送ってこられました。しかし、そんな状況のなかでも、「おらたち、日本人捕虜が抑留中にいい加減なものを作ったら、あとで『これは日本人が作ったものだ』と言われて、笑われてしまうやろ。それは嫌なんや。腹へってても、無理してでも、ちゃんと立派なものを作ろうって気持ちがあったら」といっておられます。
そんな嘉瀬さんの気質が花火に現れ、感動の涙をも誘うのでしょうか。
一発勝負!、一瞬を楽しむ花火。これをつくるのには数日、物によっては一週間、三ヶ月とかかるといいます。さらに、製造工程一つ一つが花火の出来映えに大きく影響します。作業を怠ると、美しい花が開かないのだそうです。
華麗に天空に咲き、消えてゆく花火。「完全消耗の芸術」と表現されることもあります。この美しく儚い花火に、日本人は「命」を重ね合わせてきたのでしょう。
いにしえの 先ゆく人の 跡見れば 踏みゆく道は 紅に染む(新渡戸稲造)
戦後七十年。改めて先人たちの痛みや悲しみに目を向け、そして誓うのです。再び道を紅に染めぬことを・・・。
花火は夜空への献花。みんなで顔を上げて見ることで、気持ちも前を向くのでしょう。
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