『秋彼岸』〜ご先祖様に供養するとは〜
昼と夜の長さがほぼ同じになる秋分の日を中日とした前後3日間は、秋のお彼岸週間です。
お馴染みの「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉のように、お彼岸は季節の変わり目を感じる時期です。
1948年に公布された「国民の祝日に関する法律」で「秋分の日」とされ、第2条には「先祖をうやまい、なくなった人々をしのぶ日」と主旨が制定されました。ちなみに、春分の日は「自然をたたえ、生物を慈しむ日」と定められています。
古来、日本人にとって自然や動植物というのは支配すべき対象ではなく、共に生き、時に生かされるような存在です。お彼岸にはご先祖様のみならず、自然や動植物に対しても感謝と敬意、慈しみのこころをもって接するようにしたいものです。
農耕生活が中心だった時代の祖先は太陽を崇拝し、種まきが始まる春彼岸の時期は五穀豊穣を祈願し、秋には収穫の恵みをご先祖様と共に喜びました。収穫した餅米を炊き、小豆を煮て、人の掌で握る「おはぎ」は、手作りならではの温かさが感じる秋彼岸の代表的なお供え物です。
「餅米」と「小豆あんこ」2つの物を「合わせる」言葉の語呂から、ご先祖様の心と自分たちの心を「合わせる」という意味をもちます。仏教では、このような祈りのこころを「供養」と呼んでいます。
もともと「供養」というのは、供給と資養の2字を約した熟語です。供給は一般に(きょうきゅう)と呼んで、必要に応じて物をあてがうことです。仏教では(くきゅう)と読み、客などにお給仕をすること。亡き人にお給仕(お供え)をして、飲食の接待をするのが「供」です。
供給による亡き人の喜びは、「資養」となってそのまま今生の私たちの喜びへと通じます。
たとえば、お墓まいりに花を持っていきます。亡き人に花をお供えしたいと思う心が尊いのだと思います。無常ゆえ、お供えしたお花は時間と共にしおれてしまいますが、それが亡き方からの資養となります。私たちの世の移ろいを花の姿で伝えていただけるのです。私たちを資け養ってくださっているのです。
また、私たちが修行すべき六波羅蜜の一つ「忍辱(忍耐)」の象徴でもあります。花は、雨雪や風に耐えて咲きます。供花は、亡き人の供養として生きている私たちが忍辱の修行をすることを誓って供えるのです。それを受けて、亡き人は「耐えるのだよ、短気を起こすなよ、私が見守っているよ。」と、私たちに回向して、私たちの心が仏心に育つように資け養い、見守ってくださるのです。
このように、供養と回向は表裏一体で、物をお供えするのは儀礼だけにとどまらないのです。
感謝と敬意、慈しみの心を形にあらわした供給によって、私も救われるのです。
自然や動植物、ご先祖様を大切にすることは自分自身を大切にすることでもあります。
時代は変わっていきますが、自然や動植物ご先祖様を大切にする思いは、お彼岸の期間でしっかりと子や孫に繋いでいきましょう。
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