
先日、ある研修費の資料を見る機会がありました。
デイキャップが行われた日時と場所は同じ。Aグループの参加費用は3,934円。Bグループは3,933円。違いはわずか1円でしたが、研修グループによって参加費が違っていました。
普通なら見過ごしてしまうような数字です。
ところが私は、「なぜ1円違うのだろう」と気になりました。
内訳を見ると、キャンプ場使用料や保険代、バーベキューの食材費は同じです。しかし、BBQハウス使用料がAグループが272円、Bグループが300円。マス釣りの遊漁料がAグループが409円、Bグループが380円と違っています。
人数の違いだろうか。いや、それなら人数が多いグループが安くなるはずだ。では何が違うのだろう。
そんなことを考えているうちに、ふと思いました。
もしかすると、釣った魚の数が違ったのかもしれない。一匹しか釣れなかった人もいれば、二匹釣れた人もいたのだろう。その結果が1円の差として表れているのかもしれない。
もちろん本当の理由は分かりません。しかし数字の裏にある出来事を想像しながら考える時間は、なかなか楽しいものでした。
ところがこの話をすると、ある人が笑いながらこう言いました。
「1円しか違わないんだから、そんな細かいこと気にしなくてもいいじゃないか。」
なるほど、その通りです。
1円の違いで誰かが困るわけではありません。全体運営に支障が出るわけでもありません。
しかし私は、このやり取りの中に人それぞれの面白さを感じました。
私は「なぜ違うのだろう」と考えていました。
その人は「1円くらいなら問題ない」と考えていました。
見ている資料は同じです。けれども、見ているところが違うのです。
私は仕組みや理由に興味を持ちました。
その人は全体を見て、実際に問題があるかどうかを考えていました。
どちらが正しいという話ではありません。
世の中には細かな違和感によく気付く人がいます。数字のずれや言葉の矛盾を見逃さない人です。
一方で、全体を見て、「まあ大丈夫だろう」と判断できる人もいます。細部にこだわり過ぎて立ち止まってしまうことを防いでくれる人です。
どちらの見方も大切です。
仏教では、自分の考えに執着することを戒めます。
私たちはつい、「自分の考え方こそ正しい」と思ってしまいます。
けれども実際には、人はそれぞれ異なる経験を積み、異なる環境の中で生きています。だから同じものを見ても感じ方が違うのです。
禅に「平常心是道」という言葉があります。
趙州という僧が「悟りに至る道とは何でしょうか」と尋ねたところ、師の南泉和尚は「平常心是道」と答えました。
特別な心ではありません。
いつもと変わらない心です。
しかし、その平常心とは、自分の考えだけに固執しない心でもあります。
自分の見方を大切にしながらも、相手の見方にも耳を傾ける。
「なぜそう考えるのだろう。」
「なるほど、そういう見方もあるのか。」
そんな柔らかな心です。
数字の違いが気になる私もいてよい。
「気にしなくていい」と言う人もいてよい。
どちらかを否定する必要はありません。
違いを認め合い、それぞれの持ち味を生かしながら支え合う。
そこに穏やかな人間関係が生まれます。
細かなところによく気付く人がいるから見落としが防がれます。
大らかな人がいるから皆が安心して前へ進めます。
私たちは互いに補い合いながら生きているのです。
1円の違いから始まった小さな出来事でしたが、そのおかげで人の見方の違いについて改めて考えることができました。
自分と違う考え方に出会ったとき、「どうして分かってくれないのだろう」と思うのではなく、「そういう見方もあるのか」と受け止めてみる。
その心こそが平常心であり、仏さまの示す道なのかもしれません。
みんな違うからこそ支え合える。
みんな違うからこそ世界は豊かになる。
そんなことを思いながら、今日も周りの人たちと仲良く歩んでいきたいものです。
数字の1円の違いを考えていたら、人と人との違いの話になりました^_^
