地域体験学習の一環で中学生の皆さんが訪問され、境内拝観と座禅体験、鐘楼の鐘を鳴らしていただきました。
龍門寺のことを大変よく勉強されていて、たくさんの質問をいただきました💦
以下、質問と回答です。
質問と回答
Q1、なぜ龍門寺はいつ、誰が建てられたのですか?
A、七宗町史によると、官寺(律令制で運営した政治体制)として、1308年に長良福光に創建された。開基は土岐頼貞となる。現在の建物は天保12年(1841)に建てられたものです。
備考 「官寺は、南宋の禅宗制度を移入したもので、朝廷や幕府が住持を任命する。五山、十刹、諸山の寺格がある」建武の新政(1333)、後醍醐天皇が親政を開始。土岐頼貞は足利尊氏軍で天皇軍と対し、室町幕府(1336)京都で創始。頼貞は美濃の初代守護。子に土岐頼直、土岐頼遠がいる。「中世美濃の仏教は,鎌倉時代には天台・真言の二宗が主たる位置をしめていたが、室町時代に禅宗が土岐氏の保護をうけ興隆する。土岐頼貞は無学祖元・仏光国師(建長寺住持円覚寺開祖)に深く帰依し,以後の美濃における禅宗興隆の基礎をかためた。」
現在の建物に至る前に「文政12年(1829)春、出火。総門のみ無事。」翌年天保元年。
天保の大飢饉。天保8年(1837)大塩平八郎の乱。天保の改革。
Q2、なぜ龍門寺は神渕に建てられたのですか?なぜ林の近くに作ったのですか?
A、町史では、1387〜1419年の間に神渕へ移ってきたのではないかと考えられています。移建された事情について解明できる決定的な資料が現在のところはないようです。
林が出来たのは戦後時期のようです。田畑に囲まれていたとか。
備考 「土岐頼貞の孫、頼康が亡くなると、足利義満に征討され1390年に土岐康行の乱が起こる。これにより、康行が討伐され美濃の所領に大きな改編が行われた。龍門寺は頼康の檀越を受けていたと思われるが、土岐康行の乱で福光の龍門寺は焼失した。新しく領主となった源満康が長良福光に崇福寺を建立したため龍門寺は再建の機会がなくなった。」「しかし、夢窓派や一山派、相国寺太清宗渭の威光で、改編後土岐氏領土の神渕郷で再建」「応仁の乱(1467-1477)、下剋上など小競り合いが多々起こり世が乱れていく。斎藤妙椿に押領され衰退した寺は、妙心寺派に転派することとなる」「東陽英朝1428-1504は伊勢守護・土岐持頼の次男として美濃国加茂郡に生まれ、妙心寺派の最前線に頭角する」
Q3、「龍門寺」という名前は、誰が名付けましたか?
A、分かりませんが、町史では一山一寧の弟子「太清宗渭」か土岐頼貞の長男「土岐頼直」との見方が有力です。
Q4、「龍門寺(りょうもんじ)」はなぜ「りゅうもんじ」と言わないのですか?
A、「りょう」と名付けられたからでしょう。
備考、漢音・・奈良平安時代に中国人によって伝えられた音。呉音・・朝鮮半島から来た音。
Q5、龍門寺の一番の見所はどこですか?
A、見所というのではありませんが、ずっと昔の方も、仏様の前で手を合わせてこられました。お寺は祈りの場です。心と向き合う。先祖と向き合う。そういった場所だと思っています。
Q6、龍門寺にある池が「龍の池」と呼ばれるのはどうしてですか?
A、水神様が祭られています。
Q7、龍門寺には、どこから訪れる人が多いですか?
A、お檀家の方が多いです。縁のある方も来られます。
Q8、龍門寺には、1日にどれくらいの人が訪れますか?
A、日によって変わります。今はコロナの影響を受けていて団体での参拝はありません。
Q9、このお寺は土岐家と関わりがあるお寺と言われていますが、具体的にどんな関わりがありますか?
A、初めに土岐家の庇護を受けて建てられました。土岐頼貞の供養塔があります。桔梗の家紋。
Q10、龍門寺には、なぜ龍の門が作られたのですか?なぜ、竜の彫刻がされているのでしょうか?
A、門は結界を意味しています。神聖な空間への入り口でもあります。門番として龍が彫られています。反対側には獅子が彫られています。おそらくは古代中国の四方四神の思想から描かれていると思います。東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北の玄武という聖獣が世界四方を守っているという思想です。
Q11、なぜ、龍門寺の竜の門に関わる伝説が生まれたと思うますか?
A、地域の興隆を願い、教育委員会や地元有識者のアイディアだと思います。
Q12、実際に「龍」は存在していたと思いますか?
A、龍は存在していると思いますか?でしょうか?
私は、目に見えるものだけが全てではないと思っています。全ては共存していますし、大いなる力に導かれていると感じています。それが、龍であるし、神や仏でもあると思います。信じる力は生きる力に通じます。
Q13、龍に穴が開いていると言われていますが、伝説以外にはどのような可能性があると思いますか?
A、門は神社の鳥居と同じような意味合いがあります。龍は神様でもあります。清浄な気持ちで、くぐりましょう。伝説が残る龍の門は、観賞の美術品だけではなく、実用的な暮らしの建築物としての可能性を感じます。
Q14、左甚五郎さんは、どこの方ですか?
A、伝説の人物らしいです。
Q15、左甚五郎さんは他にどんな作品を作っていますか?
A、全国各地に100箇所あるとか。栃木県日光東照宮の猫は有名ですね。京都祇園祭りの鯉とか。見たことはありませんが。落語の「竹の水仙」は好きです。関市図書館でC D借りられます。
Q16、境内にある古い桜の木は、いつ頃からありますか?
A、わかりません。
Q17、正一位神渕稲荷大明神はなぜこのような顔をしているのですか?
A、このような顔とは、狐のことでしょうか?狐は神様の遣いです。
Q18、龍門寺にはどんな行事がありますか?また、今後、どんな行事を企画されていますか?
A、龍門寺報の内面に行事やイベント要項を載せております。
Q19、田尻さんは、いつからここで働かれていますか?
A、子供の時からです。
Q20、田尻さんは1日にどれくらいお寺で働いていますか?
A、住み込みで働いています。いつも和尚、住職として働いています。
Q21、田尻さんは、住職としてどんな仕事をされているのですか?
A、お寺の法務、業務、生活。地域のボランティアなど、なんでもやる。
Q22、田尻さんは、どうしてお寺で働こうと思ったのですか?
A、長男だから。
Q23、初代の住職さんについて教えてください。
A、中国南宋の出身。帰化僧。きっと優しい人。
以上です。
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