お月様は「十五夜が一年で一番美しくなる」と言われていますね。そういったことから、お月見は秋の風物詩ともなっています。
日本人が古来より月に親しんできたことは、月に様々な呼び名があることからもわかります。
新月、三日月、満月・・・
月の形の名前はもちろんのこと、曇って見えない月のことを「無月」、雨で見えないけれどほのかに明るさを感じられる月のことを「雨月」と呼びます。
こうした目に見えないものまで名前をつけるところは、物事を様々な方面から読み取ろうとする、日本人の気質なのだと思います。
そんなことを思いながら眺める真ん丸のお月様。うっすらと浮かぶ影は、おなじみウサギの餅つきです。
大地と月はいつも同じ面を向いているため、どの国からも見える影は同じはずですが、見る向きや民族の思想などで「蟹」に見えたり、「長い髪の女の人」に見えたり異なるようです。
日本の「ウサギ」は、仏教の説話が由来となっています。
ある時、熊と狐とウサギが、雪の中で力尽きて倒れている老僧を見つけました。
動物たちは心配し、食べ物を分け与えようと相談します。
熊は川で魚を、狐は雪の下に実る果実を。
ウサギは方々探し回ったが、何も見つけることができませんでした。
それぞれが手に入れた食べ物を老僧の前に持ち寄る中、何も用意できずにいたウサギは、老僧に火をおこしてほしいと頼みます。
大きく燃える火の中に薪をくべながら、「自分を食べて下さい」と言い残し、突然火中に身を投じました。
老僧は急ぎ雪をかぶせて火を消したのですが、ウサギは既に焼け焦げて死んでしまうのです。
その体を抱き起こし、老僧は泣き喘ぎました。
これを哀れんだ仏が、ウサギを月に送ったのだという説話が伝えられています。
このお話は、自分の命を顧みず人の命を救おうとする心を説いているのでしょうか。
さらに考えてみると、私たちが食べるものには、生き物の命が犠牲になったものがたくさんあることに気づきます。
私のために命を捧げてくれるものの「おかげで」生きていることを忘れないようにと説いているのでしょうか。
仏教の教えに「諸法」は「無我(無数の因と縁とのかかわりあいで、神に造られたものでもないし単独であるのではない)」である、という存在の原理を示した教えがあります。
人間は自分一人で単独に生きることはできませんし、生きるためには食べ物の動植物をはじめ、たくさんの人たちの働きや、空気や水との関わりが不可欠な存在です。
ですから、その自分が存在する結果を敬って、ご縁ある様々に「おかげさま」と表現していければと感じています。
真ん丸のお月様。ススキと白い団子や作物をお供えして・・・。
「うさぎうさぎ何見て跳ねる 十五夜お月さん見て跳ねる」
月は太陽の光を受けて照らしています。その真理を象徴したのが月光菩薩。病に悩む人の苦しみを取り除こうと誓願をたてる菩薩様です。
うさぎが微笑んでくれるような行いをしていこう。「人のお役に立てるように」と誓願をたてて月光菩薩様のように奮闘していこう!
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